暮らしの保健室

暮らしの保健室の仲間たち:肝付町暮らしの保健室〜鹿児島県肝属郡肝付町〜

コミュニティの特徴

肝付町

肝付町(きもつきちょう)は、鹿児島県本土の東南部、大隅半島の東部にある町であり、肝属郡に属する。ロケット打ち上げ施設(内之浦宇宙空間観測所)があることで有名。

  • 広大で美しい自然豊かな地域
  • 集落が点在し、移動手段は車、時間がかかる
  • 医療・介護・福祉の社会資源は少ない
  • 高齢化が進行し、働き手が減少するコミュニティ
肝付町基本データ
  • 面積:308.10㎢
  • 人口:14,852人(平成30年10月1日現在)
  • 人口密度:46.9人/㎢
  • 年齢3区分別人口
    • ・年少人口(15歳未満):11.7%
    • ・生産年齢人口(15~64歳):47.5%
    • ・老年人口割合(65歳以上):40.8%
  • 人口減少とともに高齢化の進行、働き手が減少
移動

町内の主な移動手段は、車。南北120分、東西90分かかる。

社会資源

病院は2施設(100床・40床)、有床診療所2施設、クリニック4施設、訪問看護ステーション1施設。

肝付町暮らしの保健室の概要

  • スタッフ数

    2名(看護師)
  • 利用者数

    12~3名/1回
  • 開設日

    2015年6月
  • 所在地

    肝付町役場 地域包括支援センター
    (暮らしの保健室 岸良・内之浦・高山)
    〒893-1207 鹿児島県肝付郡肝付町新富98
  • 電話番号

    0994-65-8419

暮らしの保健室の立ち上げ

肝付町役場 保健師 能勢佳子さん保健師 能勢佳子さん

肝付町で生まれ育ち、町の人々の健康と笑顔をまもる

立ち上げた人

肝付町役場 保健師 能勢佳子さん

立ち上げたきっかけ

岸良地区は、肝付町の中でも高齢化率100%の僻地地域を抱え、唯一の医院が閉鎖した後、週2回午前中に開く町立病院の僻地診療所があるだけの医療過疎地域。日中はデイサービスの看護師しか医療職がいないため、蜂に刺されたと言ってデイサービスに来るという状況があった。

肝付町では、2015年2月、多職種連携と住民活動を知る場として“地域ケアを支える仲間たちの集い”に秋山さんを招き、暮らしの保健室の活動を知る。秋山さんの講演は、町長をはじめ訪問看護ステーションやデイサービスの看護職を含め、230人もの町民が聞いたという。「相談を受けたり、みんなで考えていく暮らしの保健室は、この地域に合ってるかもしれないから、やってみよう」と、皆で話し合いを始め、その年の4月から準備を始め、6月には、第1回をオープンさせた。

「肝付町は本当に僻地地域で、ないもの尽くしかもしれませんが、住民力はあります。住民力を巻き込むことで、いろんなことがやれる」と能勢さんは語る。

暮らしの保健室を訪れる人々・ボランティア

保健室を訪れるのは、高齢者が中心。

岸良の暮らしの保健室、開催時から参加している料理がとても上手な女性とPadを使いこなす80代女性、地域をまとめ役の80代男性の3人が主力メンバーとなり、ボランティアとしても活躍している。暮らしの保健室の旗を出し、机をセッティングし、スタッフが行く前に整った状態に準備してくれている。

暮らしの保健室で大切にしていること

「訪れる人が話しやすい環境をつくり、タイミングよく情報を提供できることが、看護職の役割である。決して運営者側が何もかもをセッティングしている場所ではないところが暮らしの保健室の良さ」と能勢さんは語る。

話しやすい環境をつくるということは、つまりよく聞くことである。スタッフが話を聞いているうちに、「それ知らないから、教えて。」と聞いたことがきっかけで、高齢者は教えるために一生懸命思い出して伝える。そのことから、高齢者は自分では忘れていたものに価値があるということに気づき、自分の居場所を見つけていくのだ。

また、暮らしの保健室の活動を行なってきた能勢さんは次のように語った。
「私は「全ての人々に健康を」というアルマ・アタ宣言のこの言葉「health for all」って大好きです。この中で言われているのは、住民の積極参加と、その国で、その地域で賄える費用で運営されるものであると、だから、ないものをねだって、ないからできないって諦めてしまうのではなく、あるものを大事にしながら考えて、それでできただけでいいよねって言いながら、前に進むことが、一番大事なことじゃないかと思います。医療職は完璧を求めすぎるような気がとてもしています。完璧でなくていい、弱いところがあるから、人はつながれるっていうのが、暮らしの保健室で私が学ばせていただいたことです。また、地域は生き物です。いつも来ていた方が具合が悪くなって入院したり、冬場人数が少なくなってくると、しゅんとなる時期があります。しゅんとなったとしても、それは生きている証拠なので、焦ることはないんじゃないかと思っています。来ている方を大事に、つながってきた情報を大事に、地道にやっていくこと、ここがとっても大事じゃないかなと思っております。」

活動の様子

①相談窓口

スタッフは、訪れた方々と世間話を交えつつ、食事の状況や健康状態を聞き、アドバイスしている。

暮らしの保健室では、どの科を受診すればよいのか、病院で医師の診察を受けた際に聞けなかったこと、聞き取れなかったこと、わからなかったことなどを尋ねたり、健康診査の結果を手に訪れ、検査データの意味や、再検査はどうすればよいかといった相談の中には、読み違えて「悪いところがあった」「再検査を受けなくちゃいけない」と思い込んでいたり、検査を受ける病院一覧表が次のページにまで記載されていることに気付かず「どうやって遠くの病院に行けばいいだろう」と悩んでいたりと、ちょっとした手助けで解決するものもある。そうした、ちょっとした相談事でも気軽にできる場所となっている。

②学びの場

暮らしの保健室では、様々な専門職を講師として招き、健康に関する講座を開催している。行政としては、介護予防啓発事業として位置付けられている。
この活動は、医療機関やNPO等にポスターを掲示していても、暮らしの現場を見ないと暮らしの保健室の雰囲気はわからないため、専門職に暮らしの保健室に出向く機会をつくるねらいも持っている。

講師として訪れた専門職は、暮らしの保健室の高齢者との活発なコミュニケーションを通して、地域の人々の生活の様子や考えを知る機会になり、「暮らしの保健室に来ると、元気をもらえる」と健康教育の依頼を楽しみにしてくれるようになったという。また、それぞれの職場で「暮らしの保健室のおばあちゃんたちに聞けばわかるから、聞きに行ったらいいよ」というような感じで、一つの社会資源として認識され、暮らしの保健室を紹介してくれるようなったという。暮らしの保健室の学びの場は、参加する高齢者はもちろん、関わる専門職にとっても有意義な学びの機会でもあり、そこでのつながりが地域に広がっている。

③安心な居場所

暮らしの保健室は、集う人々の力を引き出す場であり、皆に会いに行こうと思う場となっている。

開設当時から参加しているまとめ役の男性は、地域に伝わる古い歌を皆で歌おうと、母親が歌っていた記憶から歌詞やメロディを自ら書き起こし、音楽の先生の協力を得て、譜面にし、伴奏をつけて皆で歌える歌に蘇らせた。そして、歌うということになったら、振りつけもつけなきゃと自分たちで考えたという。帰り際には、皆で小指をつなぎ、“来週も元気で会おうね“と歌って、笑顔で解散している様子は温かな気持ちになる微笑ましい姿であった。

暮らしの保健室に行くことが励みになる、そのような場を集う人々が創りあげていた。体操一つとっても、スタッフが考えたものを行なうのではなく、自分たちの中から掘り起こしたものを形にし、自分たちで形にしたものは大切されることで、元気が出る居場所となっている。

安心な居場所
④交流の場

暮らしの保健室では、開設した当初から通っている3人が中心になって輪が広がり、毎回、12、3人が集い楽しく語りあう場となっており、今では、集うメンバーにお知らせすることで地域に口コミで広げてもらえる発信力を持っている。

昨年度のRUN伴(認知症の啓発事業で、タスキをつないで地域の中を走るイベント)は大きな転換であったという。暮らしの保健室の方々にRUN伴の話を持ちかけたところ、「やる! やりたい!」との積極的な意欲を示し、暮らしの保健室の方たちからいろんな方たちを呼びこむことで、人口600人の地域で70人が関わる大イベントとなった。RUN伴は、いつもは自分たちが応援する側だけど、子供たちに応援されて「気持ちよかった」体験となり、その日のうちに「またやりたい、やるんだよね」と口々に言われるほどのイベントを成し遂げたのである。

暮らしの保健室は、自分が安心していられる居場所であるから、自分のやりたいを言え、人々や社会とつながることで、自分の役割を発揮できる場となる。そのようにして、忘れていた自分たちの力を取り戻し、自分の力で元気になっていく場となっている。

⑤連携の場

暮らしの保健室に来訪した際には、毎回看護師が血圧測定を行いながら、相談を行なう。看護師はお薬手帳に印鑑を押し、薬を飲めているか、処方された薬が飲みにくい等の情報を手帳の活用を通して医師と連携している。

「高齢者の方が、専門職のところにつながるときには、もっと早くにということが多く言われます。早く気づけるのは、住民の方たちです。住民の方たちがつなげてくださったことを、きちっとお返しができるように訪問対応をしています。」と能勢さんが語るように、日頃からの健康や生活の様子を知る機会があることは、高齢者の少しの変化に気づく機会にもなり、早期に対応することで重症化を防ぐことにつながっている。

連携の場

肝付町の暮らしの保健室を訪れて

美しい自然豊かな僻地で医療過疎の地域で始めた暮らしの保健室は、「地域に一人しかいない看護職にこそ支援が必要なのではないか、ただ来てもらって話を聞くことでできる支援があるはずだ」と保健師能勢さんの熱い思いがあった。高齢者100%の限界集落まで車で2時間の道のりを毎月訪問し、人々の暮らしを見守ってきた能勢さんは、地域で暮らす人々の思いを受け止め、その人々の力を信じる真摯な姿勢と覚悟を伴なう強さに満ち溢れている。「何もない地域かもしれないけれど、住民の力がある」と力強く語る能勢さんの言葉に嘘はない。暮らしの保健室を開設当初来所していた3人の高齢者のつながりは地域の人々とつながるRUN伴へと発展した。そこには、何かしてもらうのではなく、何かをしたいというイキイキと輝く笑顔の高齢者の姿があった。

肝付町の暮らしの保健室は、地域支援事業に位置付けて運営されている。これは、全国の市町村でも実施可能な活動であることを示している。これは暮らしの保健室の運営において最大の強みとなる情報である。しかし、「暮らしの保健室の良いところは、四角四面ではない緩やかさ。緩やかなつながりができているところには、人が入ってくるし、情報も入ってくる。」という能勢さんの言葉にあるように、暮らしの保健室は、こうでなければという押し付けの場ではなく、その地域の特徴やニーズに合わせて、地域の人々と育んでいくゆるやかな活動であるということも改めて強調しておきたい。

「暮らしの保健室は、人が寄れる場があって、血圧計一つあって、専門職が話を聞く力さえあればやれる」という能勢さんの言葉は力強い。“自治体による暮らしの保健室の在り方“として、肝付町の事例を参考にしていただき、地域住民とともにゆるやかにつながり、安心できる居場所がたくさんの地域にできることを心から願いたい。

取材日:2019年4月3日〜4日
レポート:米澤純子 撮影:神保康子

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