暮らしの保健室

暮らしの保健室の仲間たち:なごみサロン暮らしの保健室〜兵庫県神戸市兵庫区〜

コミュニティの特徴

おしゃれな港町神戸の西側に位置する兵庫区。ここは町工場や「神戸の台所」と言われる大きな市場や商店街が軒を連ね、小さな家がひしめき合うような下町。子どもたちは成人すると郊外の新興住宅地に移り、ここには一人暮らしの高齢者が圧倒的に多い。地域の活動を大事にしていて、老人会や地域のつながりや人情が保たれている。

  • 1995年の阪神淡路大震災での壊滅的被害の後、復興した
  • 幕末時代に横浜、函館などとともに国際港のある街として栄え、異国情緒豊かな文化が香る
  • 北の六甲山系と南の瀬戸内海にはさまれた東西に細長い、坂の多い街
兵庫県神戸市兵庫区の基本データ
  • 面積:15㎢
  • 人口:108,622人(2021年12月)
  • 世帯数:64,713世帯
  • 年少人口(15歳未満):10,465人(9.7%)
  • 生産年齢人口(15~64歳):67,488人(62.1%)
  • 老年人口割合(65歳以上):30,669人(28.2%)
  • 人口密度(2010年):7448.7人/㎢
移動

神戸市を東西に横切る形で、JR、阪急、阪神の3線が走る。ほかに、高速鉄道、地下鉄もあり、間をバスやロープウエイが結び、交通は極めて便利。

社会資源

一般病院 10、一般診療所 119、歯科診療所 65(2010年のデータ)
訪問看護ステーションなど介護保険事業所や高齢者住宅なども充実。

なごみサロン暮らしの保健室の概要

  • スタッフ

    看護師2人(訪問看護ステーションの所属)、臨時の応援で松本さん
  • 利用者数

    1月(20日稼働)の延べ利用者数平均263人
    イベント・講座等の利用者は月平均約40人
  • 設置主体

    NPO法人神戸なごみの家〔ホームホスピス、暮らしの保健室を運営〕
    株式会社なごみ〔訪問看護、訪問介護、居宅介護支援、地域密着型デイサービス(呼吸器装着の要介護4、5の方定員12人)を運営〕(訪問看護ステーション看護師を、なごみサロン暮らしの保健室に派遣)
  • 開設日

    2015年11月
  • オープン時間

    11時から17時だが、コロナ禍で13時から16時に短縮。夜間と土日は休み 
  • 所在地

    〒652-0032 神戸市兵庫区荒田町3-3-4
  • 電話番号

    078-578-3112

なごみサロン暮らしの保健室の立ち上げ

松本京子さん松本京子さん

暮らしの現場で看護の力を発揮したい!

立ち上げた人
  • 松本京子さん

    株式会社なごみ役員 NPO法人神戸なごみの家代表者
    訪問看護ステーションあさんて・はな管理者 ホームホスピス神戸なごみの家代表
生まれたきっかけ

なごみサロン暮らしの保健室の物語は、1995年の阪神淡路大震災から始まっている。
それまでずっと市民病院勤務だった松本さんは、避難所ボランティアに入った。被災した人たちとの経験から、コミュニティが壊れ生活が壊れることがどれほど健康障害につながるか、地域で暮らす人たちが求めるものは病院医療だけでは十分ではないことを痛感させられたのだ。
「暮らしの現場で看護の力を発揮したい!」と心に決めて、松本さんは震災から半年後、40代で病院を辞めていた。数年の準備期間を経て1997年に訪問看護を開始。さらに2004年には、在宅で最期までは過ごせない方々のための「ホスピス希望の家」(有床診療所)立ち上げに関わったが、運営について迷うことも多かった。

ドイツのホスピス研修で確信 人は自分で立ち直っていく

迷いの日々、松本さんはふと目にしたドイツのホスピス研修旅行に参加。飛行機の故障で、ハウスマリアフリーデンというエイズホスピスに思いがけず3~4日間滞在することになった。
このホスピスの運営者は医療関係者ではなく、子供さんを事故で亡くした教育関係者だった。小規模な普通の民家だが、研修棟まで備えている。なかを案内してくれるのはエイズの患者さん自身で、職員の姿があまり見えない。みなで車いすを押して街に出かけて行っても、いちいち外出届けなんて要らない。本当に自由。管理の影がみえないことに、松本さんは衝撃を受けた。
「エイズの人たちは過酷な体験を経てここにたどり着いてきた。最期までの時間を過ごすなかで自分を取り戻すために必要なのは、管理ではない」というレクチャーも響いた。
松本さんはいきいきと語る。「3、4日そこで過ごす中で、私たちは知らず知らず“管理をする”という枠にはまっていたと、嫌というほど知らされたんですね。管理すればするほど患者さんは病人になって、何にもしなくなります」「こうやって人は自分の力で立ち直っていく、自分で自分の荷物を下ろし、あとは自分でしていく、管理はいらないという考えは、私の中ですごく納得でき衝撃でした」。
たまたま一緒だったナースが「できるわよ、これ。この考えを用いてやれるわよ」とささやいた。
これがホームホスピスへの大きなきっかとなった。自分でもう一度自分を取り戻して立ち上がってくる姿は、大震災の時にもたくさん見てきた。何かをしてあげるのではなく、人は皆絶対に力を持っているのだから、力を発揮できる条件を整えればいいのだと改めて思った。

ホームホスピスなごみの家

2年半後の2009年には、丘の上の居心地の良い家を手に入れて改修し「なごみの家雲雀ケ丘」をオープンしていた。
その後1年ぐらいして、ホームホスピス宮崎の市原美穂さんと出会う。「とも暮らしの生活の場として運営する、その自然な延長として最期の看取りの日まで」というホームホスピスのあり方を身につけた。
いまなごみの家は神戸市内に3軒(雲雀ケ丘、夢野、中津庵)あるが、コロナ禍の今もずっと満杯状態が続く。子供さんのいる若い方、小学生の子供さんがいる方、入院すると家族と会えなくなるのがつらい、そういう方々が「とにかくここで暮らさせて」とやってくる。

暮らしの保健室は“知り合いが引っ越してきた”感じで

ホームホスピスで「地域を耕す」うちに自然に「なごみサロン暮らしの保健室」のアイデアが生まれてきたと、松本さんは言う。「地域を耕す」というのは、地域の人たちが大事にしていることを知り、一緒の考えを持つという意味だ。こうして地域を耕していく中で、そんなに密接ではなくてもなんとなくつながれば「あそこに行っていいんだな」と思ってもらえるようになる。
よそから知らない人が来てぽっと建物をつくるのではなく「知り合いの人が引っ越してきた」みたいな場所にすること。これが松本さん流だ。

2年後に最初の場所が使えなくなり、1ヶ月で再オープン

こうして友人の家を借りて1階部分を改装して始まったのが、なごみサロン暮らしの保健室である。常連さんが集い、ランチ会やお楽しみ会もと、順調に運営。ところが残念なことに、2年後にはその家が使えなくなってしまった。
さて次をどうする?となったとき、保健室に集っていた人たちが「早くしなさい」と一斉に新しい場所を探し始めた。不動産屋に行き、カーテンを作ってくれて、地域包括センターの応援もあり、1ヶ月後には今の場所で再オープンできた。元が喫茶店なので食器も何も購入しないで、そのまま使えるので助かっている。
「私は計画性がなく、必要と思ったらパパッと始めてしまうのですが、いろいろな方の協力を得て地域の中に溶け込んで運営をしています」。松本さんは楽しそうだ。

なごみサロン暮らしの保健室 活動の様子

気軽に立ち寄り、誰かとつながる

今のなごみサロン暮らしの保健室は、神戸の台所と呼ばれる大きな商店街の横丁にあり、気軽に立ち寄りやすい。大きな病院が周辺にあり、松本さんたちの訪問看護の地域でもありと、便利な場所だ。神戸大学病院もすぐ近く、利用者さんが通院や検査結果を聞きに行った帰りに寄って「こうだった」とデータを見せつつ話していく。

「このあたりは85歳前後の一人暮らしばかりで、誰かを訪ねていくにも勇気がいります。通院の帰りや買い物のついでに立ち寄れる、人が訪ねやすい場所が必要と考えました」と松本さん。案の定、コロナ禍でも毎日やってくる人も。

立ち寄る場所があり人とつながることで、本来その人が持っている力が発揮できたり勇気づけられたりする姿を、松本さんはたくさん見てきた。保健室のスタッフが何かをするというよりも「つながる場を提供すれば、自分たちで考えて行動し始める人も多く、相互に支え合う地域づくりがこれから必要」と考えている。ふらっと寄ってつながる利用者さんたちから、松本さんたちが地域のことを教えてもらうことも多い。

このフレーズに、なごみサロン暮らしの保健室のエッセンスが凝縮されている。

私たちは、住みなれたこの町で暮らしたいと願う気持ちを応援します。
一人では暮らせないと思っている人、1日中誰とも会話していない人、
少し身体を動かして、他愛もない話に笑って、声を出してみませんか?
一緒に楽しく、年齢を重ねていきましょう!(パンフレットから)

運営スタッフ:看護師は常時1人、あとは常連さんで

訪問看護ステーションの看護師のうち2人が、なごみサロン暮らしの保健室の担当になっている。常時一人はいるし、他の訪問看護師も保健室の近くを回れば立ち寄って記録や休憩に使い、相談に応じることもできる。

そのほか大抵のことは利用者さんたちが自分たちでするのが、ここの流儀だ。ドイツのホスピスでの姿がここにもある。利用者さんはキッチンカウンターの中にも入るし、誰が運営者か分からないぐらい。松本さんは、コロナの在宅療養者の訪問看護担当などで多忙だが、業務用携帯は皆にオープンにしてあり電話が来たときには保健室に行く。「相談がある人は、松本さんに連絡すれば、その日は来てくれるよ」などの情報も皆がLINEで流してくれている。

スマホLINEコミュニティ

なごみサロン暮らしの保健室では、みなさん(85歳以上の人たちも)スマホでLINEを駆使している!どうして実現できたのだろう。

誰かがスマホに換えたら「これ、どうしたらいい?」と持ってきて教えあってマスターするし、スマホ教室やLINE教室も開いた。LINE 教室の若い講師を送ってくれるのが「CS 神戸(認定NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸)」だ。ここは地域の居場所にも関心が深く「居場所サミット」を毎年開催し、保健室スタッフも参加して学びの場でもある。

こうして今はみんな LINE で便利につながっている。コロナになってからは「今日は半分しか開けてません」などの連絡。常連の一人が病院帰りに「今日あの人が調子悪いらしい」などの情報を持ってくると、「とにかく、なごみにいらっしゃい」と連絡を取り合う。「地域の方々の互助関係」をなごみサロン開始のとき5年間目標に掲げたが、LINEの力もあって、自然に行なわれている。

なごみサロン暮らしの保健室の日常

「○○さんが、最近ちょっとおかしなこと言うから連れてきた」と、暮らしの保健室に連れてきたり、皆さんそれぞれ自分たちの暮らしをそのまま持ちこんで、まさに第2の我が家のようだ。

以前は毎週1回していたランチは、コロナになってみんなで食べることができないので「これは、おいしいよ」と作り方を教えあう。近くの市場では何でも山盛りで一人暮らしには多過ぎるので、ワカメを一山買ったら干し竿で乾燥させて使う。ドクダミを皆で採りに行って、なごみサロンで干してドクダミ茶をつくる。いかなごの季節には、値段の下がるのをお店の近くの人が見張ってて「今下がったよ」で、みんなでバーッと買いに走ってくぎ煮づくりと、一生懸命である。
新型コロナが出始めの頃は、自主的にマスクをたくさんつくって「マスクをしなさい。ここで買いなさい」とすごい枚数を販売。その後改良が進み、今はベルトをつけて、不織布のマスクと二重にすると柄も出るおしゃれタイプを販売している。

「何かやれることがあったら、やりたい」と、気が向いたときにふらっと来て食器洗いを手伝ってもらったり。「お客さん」ではなく「一緒にやれる」場所がいい。これが松本さんの方針だ。

静かにできる脳トレのプリント、絵手紙教室、椅子に座ってやる静かなヨガなどは、今も続けている。「退院することになったけど、どうしよう」など個別の療養相談・介護相談も継続。対面でも電話でも。

運営資金:いろいろな形で収益化を工夫

上記の「暮らしの保健室生活応援サービス」以外にも、いろいろな形で収益を得て、NPO 全体で赤字にはならないように努力している。

  • お茶代100円:保健室に来た都度、お茶やコーヒー代として、100円を貯金箱に。新しく来られた方には「はい、ここに100円入れるんですよ」と皆がオリエンテーション。
  • 自費サービスによる生活支援:看護師は1時間2000円 家事など1時間1000円
  • 貸し会議室:地域の専門職の方々の会議室として、またこの地区の集まりなどに貸し出し。
  • コロナ禍の配慮として、大家さんが賃貸料を値下げと言う形で援助。
  • 10万円くらいの少額助成金に応募して、いくつか集めて講師料などに使う。

コロナ禍でも頑張っている活動助成金や、笹川保健財団の地域啓発活動費とかに応募して、ヨガ教室の講師などに交通費だけでもと思っている。地域の方は全部ボランティア。行政からはお金の支援はないが「ソーシャルビジネスモデルとして、ぜひ維持して」と何かと応援がある。賛助会員が120人いるので「そろそろ認定NPOを」と言われ準備しているところだ。

なごみの運営の安定感は、訪問看護がうまくいっていることが、土台になっているといえるだろう。
NPO法人神戸なごみが「家賃や経費」をにない、「看護師」は株式会社なごみの訪問看護ステーションの所属なので人件費もでる。訪問看護とホームホスピスと暮らしの保健室とつなげてやってきて、この運営スタイルに落ち着いた。

地域の専門家にとっての暮らしの保健室

訪問看護ステーションの看護師にもメリット

ここの看護師は、訪問看護ステーションのナースである。訪問看護の緊急で呼ばれて動くようなとき、留守番は常連の皆さんにおまかせ。「急いで訪問行ってくるから、保健室見とってね」「分かった、分かった」という感じだ。

近くに訪問があるときは、訪問看護師が立ち寄り、コーヒーを飲んだり、地域の人と話したり、ちょっとひと息ついていける場所にもなっている。昼食休憩がとれる。訪問記録を書く場にもなる。

訪問看護で自宅を訪ねても、その人が今どんな課題を抱えているかまでは意外と分からないものである。それが、なごみサロン暮らしの保健室では、地域の普段の姿や課題が見えてくるのもメリットだ。

ホームホスピスなごみの家との交流 死の話もふつうにざっくばらんに

なごみサロン暮らしの保健室とホームホスピスなごみの家は、どう連携しているのだろう?

保健室につながっていたある方は、元気な間の治療中から通ってきたり、外来通院の帰りに寄ったり。そして外来では治療できなくなって、入院か在宅ケアを選ぶとなると「なごみの家に入れば、皆が会いに来てくれるから」ということで移り、仲間たちがなごみの家に遊びに行って交流がずっと続く。そして見送った後には「私たちは最期、ああやって死ねたらいいんやね」と。

比較的元気なうちは「暮らしの保健室でコーヒー飲みたい」とか言われたら、車いす押して来てくれてまたそこで知り合いになっていく(3軒目のなごみの家は歩ける距離にある)。
こんななごみサロンでは、亡くなる話はタブーではなくてオープンにざっくばらんに話されている。治療中の方も、普通に話しておられる。「最後の1カ月ぐらいだったら、娘に迷惑かけるなんて言わないで、家で過ごすのも可能なの?」などと。

亡くなったあとも、ご遺族が暮らしの保健室を覗いて「買い物に来たから寄ったのよ。皆元気ですか」と声をかけていく。奥さんを亡くし元気がなくなった男性が、みそ汁の作り方を聞きに来たり。

地域包括支援センター・社協・開業医と

なごみサロン暮らしの保健室を、地域包括支援センターや社協の打ち合わせなどに使ってもらうと、あとあとちょっと休憩に来てくれるようになった。保健室のことは、地域包括も紹介してくれている、地域の開業医が「なごみサロン暮らしの保健室に行ってみては」って勧めてくれるなど、つながりが深まる。

地域の専門職の「学びの場」にも

暮らしの保健室がもつ「学びの場」の機能として、地域の訪問看護師を対象に「看護を考える会」も継続していた。コンサルテーションを依頼したり大学の緩和ケア講座でお世話になっている看護師さんにサポートに入っていただく。自分の事例を持ってきて、自分では「できてない」と思っていたけど「そこの小さな部分そこに看護だよね」と気づけるような集まりだった。コロナ禍でお休みしていたが、地域の専門職の方に役に立つという意味では再開したいと、松本さんは考えている。

地域の人に話してもらう機会もつくっている。施設の生活相談員には特別養護老人ホームとは何か、ケアマネジャーさんの話とか。話す側にとっても、人に伝えるために自分で勉強するので、恰好の学びの場である。

将来への展望

静かな場を、もう1カ所なら、できるかな

今のなごみサロンは皆が元気でにぎやかで、個別相談には騒がしすぎるのが玉にキズかもしれない。がんの治療中でも元気な間はいいが、泣きたいときもあるし辛いときもあるからだ。そんな状態の人たちをどこで受け入れたらいいのか?
神戸には空き家がいっぱいあるので、猫の額ほどのお庭があって静かな場所だったら、新たな場所ができるのではないか、と松本さんは構想を温めている。

先日も、がん患者さんでマギーズ東京からの紹介という方が「マギーズはつくれないけど、自分たちが自由に過ごせる場所を神戸につくることを、最後の仕事にしたい」と訪ねて来た。神戸にはがん患者グループの「ゆずりは」(代表 宮本直治。前代表の黒田裕子さんが立ち上げた)が活発に活動しているので、そことの協力で「こんなコトできるよね」と話しあっている。

場所や資金についても知恵と仲間を集めて、便利な場所に賃貸で民家を借りて改築して、皆の協力でできるのであれば、もう1カ所。そんなに立派なものでなくても、2年か3年後にたどり着けばいいぐらいのことで考えてみたいと、松本さんは思っている。

なごみサロン暮らしの保健室を訪れて

なごみサロン暮らしの保健室は、最初の場所から何度か訪ねているが、いつも入り口を入った途端にリラックスしてしまうこの自然さはなんだろう、と不思議だった。生活感溢れる市場を通り抜けて行く楽しさ、看板を見つけ、入り口をはいると100円を入れる貯金箱。元喫茶店の趣をいかしたしつらえと松本さんの自然なたたずまい・・・。

今回のインタビューで、松本さんの若い頃の曲折や疑問、ドイツのホスピス研修での偶然の4日間の衝撃的な経験を詳しく聞くことができ、なぞが解けた気がした。

取材日:2021年9月
レポート:村上紀美子 撮影:村上紀美子・神保康子

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