暮らしの保健室

暮らしの保健室の仲間たち:宮崎 暮らしの保健室〜宮崎県宮崎市〜

コミュニティの特徴

  • 明るく暮らしやすい気候
  • 歴史ある都市で県庁所在地でもあり、病院や学校など県内の様々な施設も集中
  • 人口規模の割に大学の数が少なく、高校卒業時に宮崎を離れる例が少なくない。大学卒業後には地元に戻らず、親世代は高齢者となってから一人暮らしをしている比率も意外に高い。
  • 生産年齢人口のピークは昭和末期〜平成初期であり、その後、徐々に高齢化率が上昇
宮崎市の基本データ
  • 面積:643.67㎢
  • 人口:400,321人(令和4年2月1日現在)
  • 世帯数:185,636世帯(令和4年2月1日現在)
  • 人口密度:621.9人/㎢
  • 年齢3区分別人口(2015年国勢調査)
    • ・年少人口(15歳未満):13.8%
    • ・生産年齢人口(15~64歳):58.1%
    • ・老年人口割合(65歳以上):28.1%
移動

宮崎市内からバスで30分、JRで10〜15分程度の場所に位置する宮崎ブーゲンビリア空港が九州内および全国との往来を支える。広い市内をJRと路線バスで結び、車の活用も不可欠。九州内の他県への移動がやや難しいエリアである。

社会資源

医療資源は宮崎市内に宮崎大学医学部附属病院、宮崎県立宮崎病院、国立病院機構宮崎病院など公立総合病院が集中している。2008年に発足した「宮崎をホスピスに」プロジェクトなど、早期に在宅緩和ケアへの関心を地域全体で高めてきた特色もある。

暮らしの保健室のある恒久地域

温暖で風光明媚なことで知られる宮崎県の県庁所在地。一年を通じて日照時間・快晴日数が長く、降雨量も安定していることから暮らしやすく明るい土地として知られる。古くは新婚旅行のメッカとして知られ、現在でもプロスポーツのキャンプ地として名前が挙げられることが多い。産業としては農業、畜産業が盛んである。反面、若い世代の人口流出については地方都市における共通の課題となっている。恒久地域は閑静な住宅街。賃貸していた民家を所有することになった機会に改築し、2015年3月より現在の場所でスタート。

宮崎 暮らしの保健室の概要

  • スタッフ

    4〜6名(看護師、ボランティア)
  • 設置主体

    認定NPO法人ホームホスピス宮崎
  • 開設日

    2015年3月
  • 所在地

    〒880-0913 宮崎市恒久2丁目19-6
  • 電話番号

    0985-53-6056

暮らしの保健室の立ち上げ

市原 美穂さん市原 美穂さん
立ち上げた人

市原 美穂さん
認定NPO法人ホームホスピス宮崎理事長。熊本県出身。1987年夫が宮崎市に内科の無床診療所「いちはら医院」を開業したのをきっかけに、事務長兼裏方として医療現場に携わり現在に至る。1996年米国オレゴン州ポートランド市及びカリフォルニア州サンタバーバラ市に在宅ホスピス事情視察研修。1998年「ホームホスピス宮崎」設立に参画。2002年「特定非営利活動法人ホームホスピス宮崎」理事長に就任。2004年「かあさんの家 曽師」を開設。現在、市内4カ所にある「かあさんの家」の管理者をつとめる。

立川志乃さん
認定NPO法人ホームホスピス宮崎理事。かあさんの家開設後、ゆるりサロンを開始、運営を担当。

立ち上げたきっかけ

2004年に宮崎市内で開設された「かあさんの家」を端緒にがんや認知症などの高齢者数名が、空き家などを活用して家の実感やぬくもりを残した共同生活を営みながら終末期が過ごせるホームホスピスを開設。老いや病があってもできるだけ長く地域の中で暮らせる工夫を重ねる中で、健康なうちに普段から交流や支援のきっかけとなる場の必要を感じて、程なくゆるりサロンを開始する。暮らしの保健室として2015年に訪問看護ステーションを恒久事務局に開設した際に、暮らしの保健室として開設する(現在、訪問看護ステーションは後述するHALEたちばなに移転、サテライトステーションとして継続している)。

活動の様子

平日 10時〜17時

  • ゆるりサロン毎週 月・水 10時半〜15時
    体操、パッチワーク、音楽教室などを実施。昼食を持参して食べることもできる。(コロナ禍で中止の場合もあり)
  • ゆるり短歌隔月1回 2時間程度。
    季節の歌や昔を懐かしむ短歌を作る。
  • 聞き書き勉強会月1回、第2日曜日、2時間程度。
    ボランティア希望者向け。人生を振り返るお話を聞きながら、その人の言葉による文章で一冊の本にまとめる『聞き書き』のボランティアを育成する講座。聞き書きを不安なく始められるように勉強会を実施。
  • 在宅療養相談毎週2〜3回、各13時半〜16時半。予約推奨。
活動の軸となるのは「ゆるりサロン」

最も古い活動は、「ゆるりサロン」。15~16年前にボランティアを募り食事を作ってもらい参加者に提供する形でスタートした。コロナ禍で開催を中止している時期もあったが、再開を心待ちにされ、参加者を2班に分けるなど、感染対策を講じて開催を続けている。現在では食事の提供をしていないが、昼食を持参したり、お弁当を注文して食べることもできる。参加者の年代は60歳代から最高齢は97歳までとバラエティに富む。

そのほかに、参加型では、セルフお灸、音楽療法、短歌教室、パッチワークなどあまり他では参加できない活動もある。コロナ禍で音楽療法は中止になってしまったが、3年前に開設された短歌教室は盛況で、短歌集も発行している。また、「これからライフデザイン塾」は「認知症」「終活」など参加者の年代に合わせてテーマ設定がされている。少し先の生活を想起させる内容を少人数で対話しながら深めていくのが特色だ。

市の委託を受けて電話相談業務を実施

宮崎市の事業委託で電話相談業務を実施している。「がんが発見された」という相談を受けて今後について一緒に考えたり、「家での介護が難しくなってきた」という相談に在宅医療、訪問看護の制度について詳しく説明する、といった相談対応をしている。とある女性は、がんが見つかって電話をかけてきた際に「自分の趣味ができなくなる、治療は何もしたくない」と否定的だったものの、症状や痛みが気になって電話してきたという。こうした相談には何か方針を提示するというよりも、その人が知りたいこと、今後の予測について様子を見ながら情報を提供する。結果的に、この女性は病院の紹介を受け、自身で医師と話し合った上で治療を受けることを決意したそうだ。

このように、相談については生活の中で医療や介護について悩みが出てきたときに、相談者自身が自分自身で選択していけるようなサポートを心がけているという。運営母体であるホームホスピス宮崎が現場で活動している中で蓄積されてきた知見が活かされる場面でもある。

様々な機関とのつながりが暮らしの保健室を作る

暮らしの保健室の活動は、1か所には留まらない。地域のお祭りなどでも、ゆるりサロンとしてテントを出し、出前「暮らしの保健室」を実施する。アロママッサージ、子どもの工作教室などを実施して、暮らしの保健室の存在を知ってもらうのが目的だ。既に長く活動しているので、社会福祉協議会や地域包括支援センターなどから紹介を受けて暮らしの保健室を訪れる人も多いという。いわゆる要支援やデイサービス等の対象にはまだならないが、1人暮らしを続けるのが少し大変になってきたり、家に引きこもりがちな人に「あそこに行ってみると良いよ」といった声かけがきっかけで訪れるようになり、元気を回復した人も少なくない。また、個人病院からも医療面以外で、ちょっと気がかりな患者さんを紹介されることもある。こうした関係機関とのつながりが暮らしの保健室を作っている。

長く続いてきたのは「場」があったから

ゆるりサロンが10年以上の長きに渡って続いてきた理由を立川さん、市原さんは「やはり、場があったから」という。あそこに行けばあの人に会える、なんでもしゃべっていい、自分の行くところがある、そうした場が各々の生活の中に入り込み、集うことが楽しい習慣につながっていくという循環ができた。一人暮らしの高齢者には、お互いの消息を尋ね合い、台風が来たときには「大丈夫かしら」と心配して電話をかけるなど、交流ができていく。場があったことは暮らしが継続できているか、確認し合い、必要な場合にはごく自然に支援につなげていくための欠かせない条件だった。

来所者から学ぶことも多かったという。現在はベテランの立川さんも開設当初は10〜20歳年長の来所者から言葉の使い方、接し方などを学ぶことも多く「すごく勉強になりました。躾けてもらったというか」と話す。

「当初、年代差があったことも良かったと思います。教えてもらう立場になれた」

その後は、様々な来所者に「来る人は拒まず」の精神。心うちに問題を抱えていたり、当初は「怒ってばかり」という印象だった人でも通って来るうちに時間をかけて馴染んでいったという。

ホームホスピスと暮らしの保健室

ホームホスピスから発信する暮らしの保健室

こうした「場」を育むことがその後の暮らしの保健室につながっていく訳だが、ある意味「看取りの場所」であるホームホスピスが暮らしの保健室を営むことに不思議だな、と感じる人もいるかもしれない。市原さんは、ホームホスピスを「一概に、看取りの家とはあまり思っていない」「たまたま看取りになるぐらいに思っています」と話す。

一例として、利用者としてサロンに通ってきていた女性の話が出た。

ずっとサロンに来ていた方が、たまたまがんになり、少しずつ病状が進む中でなかなかそれが受け入れられず悩んだときに、「どうしたらいいでしょう」と、相談に訪れたという。闘病の時期をサポートし、やがて、在宅が難しくなり、かあさんの家に移り、訪問看護も利用して過ごした。最終的には病院で亡くなったそうだが、かあさんの家で最期まで、と希望を持っていたそうだ。

「ここに頼って来られたのは、やはりずっとサロンに通って来られていたからだろうなと思います」(市原さん)

「この方は利用者さんとして来られていたのですが、九十歳代のお母さまがいて、娘が先に亡くなることで非常に悩まれて、私たちはお母さまのサポートもさせていただきました」(立川さん)

亡くなるまでの時間はその人の人生、生活が続く。当たり前のことだが、ホームホスピスはその生の部分を支える力であり、それが元気なうちに、はるか手前のうちから暮らしの保健室として機能していれば、身体の不自由が生じても病気になっても支え続けることにスムーズにつながっていく。

また、ボランティアの存在も欠かせない。ゆるりサロンや暮らしの保健室のボランティアはかあさんの家で看取りをした遺族、在宅で看取りをした遺族、自身の介護の経験などから、ホームホスピス宮崎の活動に関心を寄せるようになった人が多い。また、後述する「HALEたちばな」の利用者のように、障害のある子どもを持つ親がボランティア活動に加わる例もあるという。

ホームホスピスから地域、暮らしの保健室へ

「ホームホスピスの基準」の基本理念では、理念を実現するための基本条件の中に、「地域づくりへの関わり」が、明記されている。それは、「さまざまな地域資源とネットワークの構築」、「地域に看取りの文化を創出するための活動を展開する」、「地域の課題の解決に向けた地域との協働体制の構築」として、具体化していくことが求められている。市民活動に積極的には関わりましょう、隣近所とか地域の中に自分たちの最期の過ごし方みたいなことをどう考えるかという関心を広げましょう、ということが大きな活動の基本理念になる、という意味だ。故に、ホームホスピスの中で地域活動をするのは当然なことであり、ホームホスピス運営者には「ホームホスピスがあるだけで解決するのではなくて、地域の中にここがあることによって地域を変えていくということにもなります。そういう意味で、できるだけ暮らしの保健室、サロン活動もやってくださいね」と市原さんは常に伝えているという。常に地域の人に開かれた場、看取りの文化を育み、適切な情報に触れる機会となる活動は暮らしの保健室の目指すものと非常に親和性が高いと言える。

将来への展望

新たな挑戦〜HALEたちばな

2021年10月、ホームホスピス宮崎は新しい取り組みを開始した。医療的ケア児とその家族を支える「HALEたちばな」の開設だ。ホームホスピス宮崎で訪問看護の活動が始まり地域に入っていく中で、障害を持った子ども達の在宅訪問を行い、障害による医療的ケアを要する子供たちとその母親が社会から隔絶されている状況に気づいたのがきっかけだった。

宮崎県では、重度の障害を持つ子どもたちの療養を支える施設が少なく、どうしても自宅で家族が24時間見守り、支える体制になっていく。急変に備えて母親が、すべての時間を介護に充てるため、職業に就くことも難しく社会との接点が薄れ、子どもと親だけが家にこもらざるを得ない。こうした時間が長く続くことで、家族も疲弊していく。

こうした中で、①医療的ケア児の療養生活を見守りサポートする②医療的ケア児を介護する家族のためのレスパイト機能のある場所を増やす、といった目的を満たす場の重要性が高まっていることを見定め、訪問診療・訪問看護・医療的ケア児の短期入所・日中一時支援の機能を備えたHALEたちばなを2021年10月に開設した。

元々、かあさんの家を利用していた入所者の家族から自宅のあった場所を提供され、5年余りの歳月をかけてプロジェクトチームで構想を練り上げた。

医療機能のほかに、地域の人が利用できるコミュニティカフェを併設し、気軽に利用しながらHALEたちばなの取り組みを知ることもできる。また、宮崎大学地域医療・総合診療医学講座と連携し、大学の研修の場として利用されることも大きな特色の1つだ。地域、大学ともつながりを深めながら地域で暮らす子どもたちを支援していくユニークな活動に内外からの関心が高まっている。

HALEたちばな https://www.hale-tachibana.jp
〒880−0805 宮崎市橘通東3丁目1−31
電話 0985-41-8980(代表)
FAX 0985-41-5480

  • コミュニティカフェ 遊椿
  • 多目的室 たちばな学舎
  • 共生型短期入所 leilei
  • 日中一時支援 ohana
  • 訪問看護ステーションぱりおん
  • みつばち診療所

暮らしの保健室、HALEたちばなを訪れて

新型コロナウイルスの影響により、当座すべての取材先においてオンライン取材を想定していたが、一時沈静した時期に現地取材も実現することができた。現地で暮らしの保健室の扉1枚を隔てた隣に訪問看護ステーション(サテライト)があり、医療スタッフが近くに居て、声をかけられたり必要な際には滞りなく相談も受けられる良さを感じられた。また、もとは1軒家であった家屋を改装していることもあり、機能的な構造でありながら、そこここに「家の良さ」を感じられた。こうした施設の作り方も、ホームホスピスという「自宅に近い場」を希求してきたこれまでの経験が活かされている好例と思う。

HALEたちばなは開設後間もない時期だったが、通所の利用者と付き添う家族にもお話を聞くことができた。地域の中で活動することでニーズを汲み上げ、支援の方策を整え、制度につなげる、という実践は、暮らしの保健室と同じ志の活動のように思う。この先、地域や大学といった機関を巻き込んで、どのような場となっていくのか、引き続き見続けていけたらと思う。

オンライン取材日:2021年5月26日/現地取材日:2021年11月5日
レポート:森さとこ
撮影:神保康子

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