暮らしの保健室

暮らしの保健室の仲間たち:歩く暮らしの保健室・鞆の浦・さくらホーム〜広島県福山市鞆地区〜

コミュニティの特徴

山陽新幹線の岡山と広島の中間、福山駅から路線バスで30分、瀬戸内海に面した鞆地区に着く。毎年200人近い人口減少が続き、2021年には約3,600人、高齢化率約48%、後期高齢者率が約30%。日本の近未来の姿を先取りしたようなこの地区で、全国各地の急激な人口減少が続く地域での活動のヒントが見つかりそうだ。

  • 古くから瀬戸内海の潮待ちの港として繁栄した。壇ノ浦の源平合戦から村上水軍の活躍、室町時代には一時幕府が置かれ、幕末には坂本龍馬も滞在した、歴史の町。
  • 産業は、観光、漁業。かつては造船・鉄工業(木造船の船大工から明治期には鋼鉄船)。
  • 高齢化が進むが、地元愛と結束が強くたくさんの祭りが賑わう。町内会が機能し、小さい商店が息づく。新しもの好きで、外からの移住者や新しい試みなど、受け入れがよい。
  • 歴史地区は狭い地域に名所旧跡が多く20以上の古寺、重要文化財、古戦場、古城、商家の町並みが美しく、伝統行事も多い。他方では建築制限があるため、生活の不便さもあって若い人は地区を出るが、近くに移住し祭りなどには集まる。
福山市鞆地区のデータ
  • 面積:5.40㎢
  • 人口:3,672人
  • 世帯数:1,930世帯
  • 年少人口(15歳未満):248人(6.8%)
  • 生産年齢人口(15~64歳):1,653人(45.0%)
  • 老年人口割合(65歳以上):1,771人(48.2%)
  • (令和3年1月31日現在)
移動

町内は海と山が迫って急勾配で、道も狭く、自動車がすれ違うのは困難。徒歩で鞆地区の端から端まで30~40分程度。車は県道を通って鞆地区の端から端まで10分くらい。 瀬戸内海の釣り船やクルージングの港。

社会資源

鞆地区には、病院(約100床)・医院、歯科医院が各1。
車で20分ほど走れば福山市内で、総合病院始め医療機関、介護事業所が多数利用できる。

鞆の浦・さくらホームの概要

「鞆の浦・さくらホーム」は2004年の開設から鞆の浦の各所に必要に応じてサービスを展開し、子どもから高齢者のみとりまで地域の暮らしを支えている。
高齢者には、居宅介護支援事業所、認知症グループホーム、小規模多機能型在宅介護サービス、地域密着型デイサービス。障害のある子どもたち向けには、重度心身障害児の発達支援、放課後等デイサービス。さらには、駄菓子屋や、「お宿&集いの燧冶(ひうちや)」などを展開する。
(さくらホームの詳細は『超高齢社会の介護はおもしろい!』羽田冨美江 bricolage社)

  • 開設日

    2004年4月 さくらホーム(グループホームとデイサービス)のオープン
  • 所在地

    〒720-0201 広島県福山市鞆町鞆552番地 さくらホーム
  • 電話番号

    084-982-4110
  • ホームページ

    http://www.tomo-sakurahome.net/

鞆の浦・さくらホームの「歩く暮らしの保健室」の誕生

羽田冨美江さん羽田冨美江さん

年齢を重ねても、障害があっても、居場所となるまちづくり

生み出した人

羽田冨美江さん 鞆の浦・さくらホーム 代表・施設長

理学療法士、介護支援専門員、認知症介護指導者、福山市鞆地区社協「地域の福祉を高める会」事務局長。理学療法士として20年の病院勤務ののち、鞆地区での義父の在宅介護をきっかけにこの道に。夫の修治さん(元不動産業。財務・総務・経営全般)、長女の知世さん(作業療法士)、長男の和剛さん(介護福祉士)とともに活動する。

生まれたきっかけ

さくらホーム

かつて、鞆地区では障害のある人をあまり見かけなかった。誰かが鞆で亡くなることも、ほとんどなかった。そういうときは家に隠れていたり、よその施設や病院に移ったからだ。
羽田さんは、義父が倒れたのを機に、理学療法士の病院勤務を辞め在宅介護を始めた。鉄工所を経営し元気に活動していた義父が、車椅子生活になって人が変わったように家に閉じこもっている。これはおかしい、本人らしくない、と強い疑問をもった羽田さんは、いっしょに町に出て、義父の知人・友人に声をかけていった。
その頃から「年齢を重ねても、障害があっても、居場所となるまちづくり」が羽田さんのテーマだ。さくらホームを立ち上げたときも、これをミッション(使命)にかかげた。めざすは、地域共生のコミュニティづくり、介護の地域化、である。

さくらホームのロビー

社協のサロン

羽田さんは、2000年から福山市の鞆地区の社会福祉協議会(以下、社協)「地域の福祉を高める会」の事務局長でもある。社協の「いきいきふれあいサロン(以下サロン)」を鞆地区に次々に10カ所以上立ち上げてきた。NPO 法人「鞆の人と共にくらしを」(稲葉繁人代表、住人主体の地域の居場所、互助・介護予防の拠点づくり)や、民生委員などと協力しながら、である。
サロンは、地元社協がサポートして、住民がつくる、地域交流の場である。目的や作り方は自由で、月1回~週1回程度、出入り自由でゆるやかに集まって、安心して過ごしていく。(コロナの時期は活動を休止)

立ち話で情報交換

活動の様子

鞆の町には「歩く暮らしの保健室がありますね」

鞆の町では、さくらホームのスタッフをしょっちゅう見かける。小規模多機能やデイサービスのスタッフが1日中、利用者さんのお宅からお宅へと、車で動き、自転車で走り、歩いて移動しているから。
そんなさくらホームのスタッフを見かけると、町を歩く人は声をかけてくる。季節の挨拶だったり、健康を気遣ったり、祭りの相談だったり、立ち話がはじまる。これを知った秋山正子さんは「鞆には、歩く暮らしの保健室がありますね」と表現した。至言である。
さくらホーム原の家の前の道で毎朝、近所の人が集まって体操をするようになった。「ここなら、何かあってもさくらホームに声をかければいいから」だそうだ。
さくらホームの玄関脇にはケアマネ事業所になっていて、いつも誰か居る。とはいえ、たまに、認知症グループホーム入居者の誰かがするりと出ていくこともある。そういう時は、みんなで探すが、あたりの住民からすぐに、さくらホームに連絡がくる。「あっちに歩いて行ったぞ」とか「ここにいるよ」と。町のみんなが見守っている。
小さな町で人口が少ないことで、いろんな良いこともあるのだ。

原の家
社協のサロン+さくらホームのスタッフ=暮らしの保健室

さくらホームのスタッフは、「居場所となるまちづくり」活動の一つとして、町内の社協のサロンに参加している。
医療介護スタッフが加わると、サロンは暮らしの保健室にそっくりだ。だれでも対等におしゃべりできるサロンだからこそ出てくる相談もあり、自然な学びが生まれる。暮らしの保健室の6つの機能のうち、「安心」「相談」「学び」「育成」がそこにある。

自然な学びと気づき

ある日のこと、あるサロンで、認知症が進んでやや敬遠され気味の人のことが、話題になった。
「近頃、あの人、町をうろうろしとるけど、もう一人暮らしは危ないんやない?」「そんなんは、家族が看たらええんや」。話が進んだとき、一人が「うちも息子や娘は都会に出とる。私もああいうふうになったら、この町にはおれなくなるんかな…」のひとことで、みんなハッとして、「そうじゃないよね」「みんなで見守らんといけんね」と話は転じていった。「あの人の課題」ではなく「私たちの課題だ」、大きな気づきであった。

鳥海洋治さん(福山市社協、福祉のまちづくり課)は、羽田さんたちのサロン活動を長年見守り支えてきたひとりだ。鳥海さんはこのエピソードを聞いて「これこそ住民主体の活動。サロンは、参加者が対等に話して、そうか~と納得して、住民主体を形成する場になってますね。社協がめざしているのも、まさにこれなんです」とうれしそうに語る。
サロンは普段は、住民主体で自由に運営するのが基本である。ただ、自分たちの手に負えない困ったことは、社協に連絡すれば何とか助けてもらえるという安心感がある。

社協とのコラボ

全国どの社協も「住民主体の地域活動」を支援

全国組織で社会の福祉を推進する社協の活動は多岐にわたる。その中で、暮らしの保健室のような「住民同士の交流の場、相談支援や居場所づくり、ひきこもり防止,介護予防や健康づくり」の地域活動(サロン、居場所づくりなど)を支援している。
以下のような支援を、法人はもちろん、少人数の任意団体も申請できるそうだ。

  • 活動費の一部助成:「ふれあい・いきいきサロン支援事業」や「高齢者居場所づくり事業」など
  • 地元の適切な団体や人につなぐ:町内会につながれば、回覧板や掲示板などで広報も
  • 生活支援コーディネーター:地域の集まりに参加して、専門家としてアドバイス
  • 道具の提供:レクリエーションの道具の貸し出しや、寄付された日用品の提供など
  • 出前講座の講師を紹介:地元の商店やお寺や学校や警察や消防などの講師を登録
    それぞれの市町村社協によって、助成の名前や方法は少しずつ異なる。地元情報は、市町村社協のホームページで「ふれあい・いきいきサロン」「サロン活動」「高齢者居場所づくり」などのキーワードで調べたり、電話で問い合わせてみよう。
暮らしの保健室と社協サロンの連携、2つの可能性

社協から見ると、暮らしの保健室は、どんな風に見えるのだろう。
鳥海さん(福山市社協の福祉のまちづくり課)に聞いてみると、「暮らしの保健室は、住民主体のサロンのような機能も果たし、医療専門家の関わりもあり、住民活動と公的サービスの中間のようですね」とのこと。
暮らしの保健室が社協のサロンと協力し合う、2つの可能性を挙げてくれた。

  • A:今あるサロンに、暮らしの保健室メンバーが、医療・介護専門職として協力。(参加する、生活支援コーディネーターとなる、出前講座の講師として登録するなど)
  • B:暮らしの保健室の活動の一部として、社協のサロンを申請する。

いずれにしろ、地域活動に理解と興味を持つ社協の職員を探して、相談しあえる間柄になれると、お互いにとても良さそうだ。そのような職員に巡り会うには、今すでに地元で活動している人に「社協からよく参加してくれたり、相談できる職員はいますか」と聞いて、名前が挙がった人に連絡するのも一つの方法だ。

暮らしの保健室と社協サロンの連携

歴史とこれから

伝統の暮らしの雰囲気を伝える、懐かしいたたずまい

地域の暮らしぶりや住む人の思いを大切にする、さくらホーム流の建築・空間づくりにも触れておきたい。

さくらホーム

築300年の醸造酢製造所が朽ち果てて取り壊されると知ったとき。「これを壊してはいけない、わたしが買う」という羽田冨美江さんのやむにやまれぬ思いから、さくらホームのグループホームとデイサービスが始まった。
傾いた大黒柱を起こし、歴史的建造物と伝統の暮らし感が漂う大改造になった。友人・知人から寄贈された骨董の家具・什器も多い。認知症ケアの回想法のようでもあり、初めて来た人もどこか懐かしさとあたたかみを感じられる環境空間を実現している。

海の見える「さくらんぼ」

ここは、元は保育園として、多くの鞆町民がなじんだ場所である。
閉園になった園庭や建物は生かしたまま、地域包括支援センターなどが置かれた市の複合施設となった。その一部で、障害のある子どもたち向けの重度心身障害児の発達支援、放課後等デイサービスを行なっている。園庭ではキャッチボール、海に出ることもある。ここのリーダーは長男の羽田和剛さん(介護福祉士)。

集いとお宿の「燧冶(ひうちや)」

築100年の明治の棟梁の技を駆使した木造住宅を、石組みの庭もいかしつつ、最新鋭のバリアフリー設備を整えた。長女の羽田知世さん(作業療法士)が、さくらホームと兼務で「燧冶」運営責任者となり、アイデア豊かに生け花教室やカフェを開いたり、デイサービスでひなたぼっこに使ったり、一棟貸しの研修などに利用している。

この建物は元は鉄鋼会社の社長宅で、大勢のお客で賑わったそうだ。高齢の奥さんが一人暮らしになっていた頃、さくらホーム小規模多機能型在宅介護「原の家」の管理者、旗手隆さんたちは、近くを通りかかるとちょっと声をかけていた。催しに誘ったり、困りごとを手伝ったりして仲良く、頼りにされて。とはいえ介護サービスは別の事業所を利用していたので、さくらホームの利用者ではなく、制度外の関係で、まさに「歩く暮らしの保健室」である。旗手さんは「介護職が地域の中に入っていき、住民の方たちと関わる中で、“お世話する”ではなく“共に生きている感じ”を楽しむ」と書いている。
その後、奥さんは「この家を生かして、さくらホームに使ってもらえないか」と遺して逝かれた。そのご縁を大切にさくらホームが購入し、膨大な家財道具を片付け、便利にきれいに使えるように大改装。いまは集いとお宿の場としてよみがえり、多くの人を迎えている。

燧冶

これから

「歩く暮らしの保健室も良いが、寄りたいときに立ち寄れる暮らしの保健室があると、なおいい」。そう考えるようになった、羽田さんは、長年の同志のケアマネジャー石川裕子さんたちといっしょに夢を膨らませ、建物を探し始めている。

鞆の浦・さくらホームの「歩く暮らしの保健室」を訪れて

さくらホームが開設した15年前、鞆の人は最期の日々は、よその病院や施設に出て行くことが多かった。それが今ではグループホームや自宅でのみとりも増えている。「お焼香に行ったら“わたしもお願いしますよ”って言ってもらえるようになったんです。うれしい…」と羽田さんの笑顔に涙がにじむ。

鞆の暮らしぶりを聞きながら羽田さんと町を歩いていると、フランスやドイツの古い、美しい町や村を思いだす。人口3,000人とか1,500人など小さいながら、人々は「ここが世界一いいところ」と誇り高く心豊かに暮らしているのだ。日本も同じように、人口減少に向かっても、その地域にいる人と、そこにあるもので、なんとか支え合い助け合って、自分たち流に暮らせるのかな、と穏やかな気持ちになっていた。

取材日:2020年11月
レポート・撮影:村上紀美子 撮影:神保康子・松本佳子

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