暮らしの保健室

暮らしの保健室の仲間たち:暮らしの相談室おたがいさま〜宮城県仙台市〜

暮らしの相談室おたがいさまの概要

  • スタッフ

    ホームホスピスにじいろのいえ 職員のうち、看護師2、事務員兼介護ヘルパー、事務主任、今野さん親子
  • 利用者数

    映画会などのイベントで80人ほど
    相談など 15人
  • 設置主体

    一般社団法人 月虹(ホームホスピス にじいろのいえ、ケアプラン・ヘルパーステーション虹色など運営)
  • 開設日

    ホームホスピスにじいろのいえ 2016年4月1日
    暮らしの相談室おたがいさま 2019年4月
  • 所在地

    〒982-0813 宮城県仙台市太白区山田北前町49-20
    (ホームホスピスにじいろのいえ)
  • 設置主体

    022-738-8672
    022-395-5265(暮らしの相談室おたがいさま)

「暮らしの相談室おたがいさま」の立ち上げ

今野まゆみさん今野まゆみさん
立ち上げた人
  • 今野まゆみさん

    社会福祉士 一般社団法人 月虹 代表理事
    出身は神奈川。母方の実家が岩手のお寺で、叔父や父が「大学に行きたいなら仙台に」ということで仙台の福祉大学で福祉・介護職に。そのまま仙台で暮らしている。
立ち上げたきっかけ

ALSの患者さんとの経験から

今野さんが働き始めたのは、息子が幼稚園に入って時間ができた35歳ころからだ。
最初は特養で短期間、次に重度身体障害者施設で7年間、介護員として勤務。その後、在宅のがん末期の方たちを主に診る岡部医院(故 岡部健院長)で、ケアマネジャー・相談員として10年間。そこでは今野さんがALS の方のほとんど全員を担当し、「家でどうやったら生活していけるか」「どうやって最期を家で迎えられるか」などの相談に対応していた。

「これらの経験があったので、私は今こうしてホームホスピスやっていられるのだと思います」と今野さんは振り返る。そしてホームホスピスを立ち上げた最初からずっと「暮らしの相談室」をやりたいという気持ちで、スタッフにも言い続けていた。相談する場所が分からない人、思い悩んでいる人はいっぱいいることを知っていたからだ。でもなかなか、自分が相談に力を入れる余裕がなく、もどかしく思っていた。

若手スタッフが「やりたい」

そこにご長男の渉輝(しょうき)さんが入職したのが、きっかけになった。渉輝さんは東京で働いて家庭を築いていたが、人生のアクシデントが重なり、仙台から通って助けてくれた母と一緒に働きたいと思うようになっていた。「暮らしの相談室をやりたい」という母の想いを知って「ぜひ自分に任せてもらえませんか」と伝えて開設することになった。今野さんは「息子から手伝いたいと言われたときは、跡取りができたと、ちょっと嬉しかったですね」。
やりたいという20代のスタッフも現れ、メンバーが揃った2019年に「暮らしの相談室おたがいさま」を立ち上げることができた。

「暮らしの相談室おたがいさま」の活動の様子

仙台市の郊外の住宅地、少し奥まったところに「ホームホスピスにじいろのいえ」の母屋と離れの2棟が建つ。そしてすぐそばにあるもう一軒の事務棟に「暮らしの相談室おたがいさま」がある。静かな立地環境である。いつも人通りがあってちょっと立ち寄りやすい、とはいかないここで、さて、どんな活動をしていくか?

若手スタッフがイベント担当で映画上映会

営業・広報担当の渉輝さんと20代の若いスタッフがイベント担当だ。「にじいろのいえを広めたい」という気持ちで、企画から打ち合わせからすべて任されている。

地域の子供たちを集めて、読み聞かせイベントを始めた。ネイルケアの資格を持っているスタッフが、お母さんたちの癒しや楽しみにと、ネイルケアをしたこともある。

渉輝さんが営業広報として挨拶回りに行った先で、仙台の芸能事務所とつながることができた。そこが運営する昔は映画館だったホールで、話題になっていた「ケアニン」の上映会と講演会をやろう!仙台で有名な歌手にも参加してもらい、協賛として、にじいろのいえを広めることもできた。こういう活動は初めてだった若手スタッフは「刺激があって、とても楽しい」と大喜び。このイベントで他方面の人たちとつながりができたのも、ありがたいことだった。

コロナで、オンライン配信活用へ

立ち上げて1年ころ、イベントをいろいろ企画し会場を押さえたりしていた矢先、コロナ禍がひどくなって、人が集まる活動はあれこれもできなくなってしまった。でも、中止ではない。いつかやりたいねという意気込みで、できる日までの延期である。
リアルのイベントができないもどかしい気持ちを抱えつつ、渉輝さんは気持ちを切り替えた。今の時代はオンラインを活用してつながることが重要!まずは、その勉強からだ。

2020年には暮らしの相談室からYouTubeのライブ配信で、全国ホームホスピス協会の方々向けに、きずなコンサートを行った。仙台のミュージシャンとつながり、音楽イベントに必須のクオリティーの高い音響はプロに入ってもらって。このイベントができたことで、コロナ禍でも希望を持てると思えた。
最近はトークライブみたいな感じの活動報告を、FacebookとYouTubeでオンライン配信している。

相談は、介護福祉とALSケアの経験知生かして

相談については、今は電話やメールで連絡を受け、予定を合わせて直接来ていただく形をとっている。「ALSだけど、どうやって生活したらいいんだろう」とか「どうやったら最期まで生活できるか」などだ。
医療的なことを含めてちょっと難しい話にもなるので、相談対応は今野さんだけ。介護福祉の専門知識と長年のALS患者さんとの実践経験知が活きる。

相談者のなかには、何を聞きたいのか自分でもはっきり分からないとか、迷いがあって悩むけれどまとめて話せないという方も多い。そんな方には、まず丁寧に聞く中でいろいろなことを引き出して一つずつ掘り下げていく。「これはこう考えることができるかもしれないね」「こういうのを組み合わせたらできるよ」とか「こういう方法があるよ」と対応。
それ以上のことは、適切な専門家につなぐ。ALSならこの先生にとか、相談者が元々通っている市内の主な病院とも今野さんはつながっているので、相談しやすいのが強みである。

ホームホスピスにじいろのいえの物語

「暮らしの相談室おたがいさま」ができるまでには、今野さんの長年の歩みと思い、家族の偶然のタイミング、「ホームホスピスにじいろのいえ」の誕生の物語があった。

ALSケアのキャリアを積む中での思い

前職の岡部医院では、今野さんは相談員としていろいろなALSの患者さんの姿を見てきた。当時は最期まで家で過ごすのはなかなか難しかった。病院もバックベッドがなかったり、ホスピス病棟も空きがなかったり。でも病院は嫌、という人もいたり。そのときは在宅へという方向で、ほとんどの方が自宅で亡くなったが、今野さんはこれでよかったのだろうか、無理やり在宅に持っていったのではないか、と少し疑問も残っていた。

「お家にもいられないけど、病院にも行きたくない人たちを看られるところを、自分でつくれないだろうか」と模索しているうちに、ホームホスピスにたどり着く。研修会に参加し、ほかのホームホスピスを見学しながら「やっぱりこういう、家の形がいい」と確信し、市原美穂さんにも相談しながら、仙台でできるかどうかを考えていった。

立ち上げのタイミングが来た

ホームホスピスにじいろのいえを始めたとき、今野さんは「本当にこれはタイミングだ」と思ったそうだ。

【建物】ここは、看護師の中山庸子さんが、デイホスピスをひらいていた場所である。このデイホスピスは岡部医院と強いつながりあり、今野さんの担当患者さんも通っていた。そこを中山さんが10年めをめどに閉じる話と、今野さんがホームホスピスの家を探したタイミングが合い、大家さんも「そういう事ならどうぞ使って」と借りることに。(その後、購入)

【食事】厨房責任者は、夫の昌考(よしたか)さんである。もともと調理関係の仕事だったが、東日本大震災で働き場を失い、その後入った系列の職場からも早期退職を迫られていたときのこと。息子の渉輝さんが、今野さんに「ホームホスピスをやりたい思いを、話してみたらどうかな」。夫に話してみると「いいんじゃないの」という即答に、「あなたも一緒にやるのよ」「俺に何ができるの」「ご飯つくれるじゃない。ご飯つくる人がいないと困るんだけど」「そういうことか、じゃあいいよ」と話はまとまる。夫はすぐ介護の初任者研修の学校に通い、ヘルパー資格も取った。

今野さんが前職を辞めてこれがやりたいと思ったのと、ちょうどいい建物が空いたのと、調理のプロの夫が早期退職、この3つが全部一致してできたホームホスピスだった、このタイミングでなければ、できなかったと、今野さんは思い返す。10年前、51歳だった。

近隣とのかかわり

ホームホスピスにじいろのいえは、2軒続きに建っている。母屋と、離れ、だ。
母屋は、中山庸子さんのデイホスピスを引き継いだ建物。2階建てで、2階は職員の休憩室、1階が居室である。母家の隣の離れは、日本財団の協力を得て2020年に新築した。

2016年11月、近くに2軒目の「月うさぎ」を新築した頃、近隣の住民の強い反対にあい、自分たちで対応すると疲弊してしまうので、顧問弁護士を通して対応してもらうほどだった。他方では応援もあった。「自分たちも、そうなるんだ。みんなが通る道だろ。それをなんであんなふうに言うんだ。俺、そうなったら頼む」と。

「応援してくださる方がいなかったら、行き場がなかったのです。でも応援してくださり、今もすごく力になっていただいています」と今野さん。今はもう大きな苦情はなくなり、落ち着いてやれるようになった。

こういうわけで、「月うさぎ」は、事務棟として「暮らしの相談室おたがいさま」、ヘルパーステーション虹色の事務所に使っている。

ホームホスピスに暮らす11人

母屋の1階にリビングや個室があり11名の方が過ごしている(2021年9月で38歳から80代まで。人工呼吸器をつけたALSの方は2人)。ご高齢の方、がんの方もいるが、障害を持つ人が多い。
今野さんのそれまでの実績や、外部のALSケアに詳しい医師や看護師とのつながりから「ALSの人を看てくれる。ALSを任せられる」と認識されている。問い合わせや入居希望介もALS のほうが多く、病院からの紹介や、ご本人が自分で調べてくる人もいる。

呼吸器をつけている方もいるし、呼吸器をつけずに「にじいろのいえで、自然な最期を迎えたい」と希望された方も今までに20人近い。今では行政の方にも「ALSは、にじいろのいえだよね」と認められるようになった。

ホームホスピスにじいろのいえと相談室の適度な距離

「暮らしの相談室おたがいさま」に行くと、「ホームホスピスにじいろのいえ」に入らないといけないの?と誤解されたこともある。実際には、入居を希望されても、定員いっぱいでなかなか入居できない状況なので、他のところを紹介したり、自宅で生活できる方法を一緒に考えていく。

今野さんが相談者に必ず伝えること。「こうして出会えたことが本当に縁だと思うので、うちに入るとか入らないとか全く関係ありませんよ。何か迷うことや思い出して聞きたいことがあったら、いつでもいいので電話をください。私が応えられることはお応えするので」と。

将来への展望と期待

へルパーを募集したら、思いがけず看護師が応募してきた。看護資格を持つヘルパーとして男女一人ずつ入職し、「暮らしの相談室おたがいさま」メンバーにも入ったことで、今野さんは2つの計画に取り掛かっている。一つは、新人教育の見直し、もうひとつは訪問看護ステーションを始める準備である。

新人が成長できるプログラム

スタッフ確保と定着は、どこでも課題だが、今野さんも新人も辞めていくのが悩みだった。

ヘルパーとして入った2人の看護師から「ここで今野さんたちが当たり前のようにしているケアは、かなり高度で、技術力が高くないと難しい」と言われてはっとした。新人にとっては、呼吸器装着の人たちを初めて接して、見たこともしたこともないケアを一気に教えられたら、パンクしてしまうのが当たり前だ。新人が辞めていったのは、それが理由では?と教わったのである。

そして、新人教育プログラムを見直して作ってくれた。重度の人たち全員を看るのではなく一人ずつ、まずこの患者さんから、それができたら次はこちら、というふうに順序立てて進める。

もうひとつ、おむつ交換や移動移乗の介助は難しくて手が出せなくても、食事介助、口腔ケア、洗面などはできるという新人もいる。それなら、新人の得意なこと・できることは頼み、苦手なことはベテランが担当、というふうに分業・役割分担を取り入れた。「ここは頼むね。こちらは私たちがやるね」という具合に。

「ヘルパーだから全部を介助しなくてはいけないわけでもなく、分業も必要と思うようになり、そうしたら新人が辞めないで居着いてくれるようになりました」。今野さん、うれしそうである。

訪問看護ステーション立ち上げ計画

看護師が応募してくるなら、訪問看護ステーション立ち上げもできるじゃない?と今野さんは思った。看護師がヘルパーで働くのは仕事が違うし続かないかなと思い、モチベーションを上げるためにもということで、準備室をつくろうとしている。

立ち上げようと思った理由は、ほとんどの訪問看護ステーションは土曜、日曜、祝日、年末年始は長く休む(来てもらうと休日料金がかかる)。すると患者さんは訪問看護師のケアを我慢して気の毒な状態だった。今野さんは自前で訪問看護ステーションを持って、住人が苦しまないで済むように休日・夜間もフォローしたいのだ。「人工呼吸器をつけている人、吸引が必要な人、胃ろうが必要な人は、いっぱいいるので、そういう面のバックアップに訪問看護が必要」と意欲をみせる。

訪問看護の先にやりたいこととして、人工呼吸器をつけて青年期になった人が通所できる場を、という夢も芽生えている。介護しているお母さんたちの休息や自由時間を持つためにも。

こども笑顔プロジェクト

「習い事をしたりいろいろなものを見たいけどできない、楽しい体験をする機会が少ない家庭の子どもたちに」今野さんが渉輝さんに話した一言から始まった。子どもには可能性があるから、歌でもダンスでもスポーツでも勉強でも、見たり体験したり興味をもったり取り組める場をつくれないだろうか。

名付けて「こども笑顔プロジェクト」。暮らしの相談室おたがいさんのメンバーもいっしょに。渉輝さんはSDGsの資格を取る勉強中だが、行政とつながってどういう形でやっていけるか、を考えている。

暮らしの相談室おたがいさまインタビューを通して

仙台で地域から芽生えた”暮らしの保健室の仲間”を訪ねて行きたいところだったが、コロナが感染拡大が収まらず、やむなくオンラインでのインタビューとなった。ホームホスピスの立ち上げからの、さまざまな苦労あり、でも希望もありのストーリーをお話いただいて、実際にお目にかかり、現場を見てみたい思いに駆られるばかりであった。これから保健室を始めたい人、地域で活動を始めたい人には、とても参考になるエピソードが次々と出てきて、地域に根を張ることの醍醐味も伝わってきた。落ち着いたあかつきには、ぜひお邪魔して実際の雰囲気を味わってみたいと切に願っている。

取材日:2021年10月2日(オンライン)
レポート:村上紀美子
写真:暮らしの相談室おたがいさま提供

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